2024/09/27

地産地消と未病への働きかけ から webサイト作成中です

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相模湾の魚情報を、皆様の美味しい食膳にお役に立てるよう整理しなくちゃね💦 先ずは自らを省みることに

 熱い熱い💦猛暑を超えて、、、
さてさて、これまでの事、これからの事、、
ゴチャゴチャになった事柄を掃除と共に、整理整頓(#^^#)

伊豆、網代で丸本商店 田中家の次男として生まれ、幼少期は長野県の限界集落とも言える諏方群富士見町花場の母方実家で育てられ
次男坊としてお気楽な日々を、、


大学中退の後は、兄の代わりに網代マルモトを承継
鮮魚部と共に、青果部主任として、小田原魚市場での仕入れ、また、三島・沼津青果市場で青果物の仕入れに携わり
生鮮売り場からスーパー(マルモト)の店長に昇格させて頂いた頃の、
45年ほど前、、

湯河原で松下政経塾一期生(後の塾頭のO氏と、今は外資系で勤務しているD氏)との出会い、両名はスタンフォード・オックスフォード大学を卒業し、日本と世界の未来を危惧して松下政経塾に入塾され、湯河原の建築中断中のマンション数室に”メタモルフォーゼ研究所”と言う、最初は理解不可能な(#^^#)研究所を開設していた。
エントロピーの法則だの💦(覆水盆に返らず、取り返しのつかない不合理??だの)
古代資源(化石燃料)を浪費する社会から、持続可能な社会へのメタモルフォーゼ研究所、、話をする度に、感じ納得した未来への危機感💦
そこで、湯河原の友人と共に、目指したメタモルフォーゼ(変身・変態??)へ!”!

そんなきっかけから、自分なりにできることを発見しようと、、両親に相談し、結婚と共に、修行の旅に出ようと決意


妻は、家業のスーパーマルモトの手伝いに残り、新婚移住先の真鶴岩地域から網代まで通勤してくれました(__)

その後、自身は大学時代の友人の伝手でヘルパーとして勤務、修行先は東京有楽町センタービル(有楽町マリオン)、真鶴~新橋 有楽町へ電車通勤する日々へ 

約一年間、有楽町マリオン SEIBU(セゾオン)西武デパートの食品売り場一周の修行の旅

ヨーロッパ銘品売り場で半年、乳製品・チーズ・スパイス・紅茶・ケーキ・チョコほか嗜好品などの売り場でデパート売り場熟練の担当者の下で勉強、
残りの半年は地下ふるさと銘品と京都錦小路を模した食料品売り場へ

更に、デパートの売り場での一年ではまだまだ修行が足りないと、次なる修行先は東京築地中央卸市場場内へと

当初、妻は長男を懐妊中だったので、二宮の実家で世話を見てもらい、単身で佃島のワンルーム賃貸マンションに移住
後に、長男と共にワンルーム賃貸マンションで家族生活
銀座まで自転車で遊びに行ける距離での東京住まい(^^♪

働き始めた会社は、築地場内に自社ビルを有し、国内・各国から荷物を集める築地荷受け5社から、築地周辺(品川・豊海・晴海などの冷凍倉庫など)の冷凍品の名義変更による商品確保・また生鮮品は競り場で仕入れる傍ら、場内・場外からお得意様の求める料理材料一切を手配し、ホテル・料亭・飲食チェーン他へ、その当時15台ほどの配送車で都内全域に納品する会社へ、入社時のタイムカードは30番台だった💦

時は、バブル景気に突入し、高品質な魚介類は引手あま高値でも売買された時代
人手不足が加速され、新人を高給で募集!
そんな時、古参の社員より高給で新人を求めていたことが発覚、、
諸先輩が怒って大量転職する騒動が💦 、、、 一気にタイムカードは上位へと💦

 河岸で、その日仕入れ人材も不足し、残った社員で手分けをすることに、、、
そんな中、入社間もない身でありながら、スーパーのバイヤー経験があるとの理由から、業務店向け生鮮鮮魚仕入れ担当に抜擢💦💦、、スーパーでお安いお総菜向け鮮魚仕入れ畑から、ホテル・料亭向け高級素材仕入れ転向とあいなった次第💦

 最初の頃は、得意先で怒られる日々💦 魚を見る目、求める品質と産地を指導され、注文を受けるための気遣い・姿勢を叩き直されて、魚の見る目、魚の素性と鮮度管理が大切と、魚に向き合う気持ちが変わる日々が続き、求められる品物が少しづつ吟味できるように、(^^♪
日々、試行錯誤の末、何とか継続お取引・新規お得意様の求めるものとのギャップが少なくなり、信頼されるまでに約5年が過ぎた💦

デジタル化への出会いは
納品業務以外の営業活動の仕事も多くなった矢先、首都高での一斉取り締まりで長期免停💦
内勤業務が多くなり、その間、コンピューターソフト業界に携わっていた兄の指導と援助でアナログ販売管理であった現場と事務作業環境に販売管理事務情報の標準コード整理し、デジタル化に着手し導入(この当時も水産流通標準化コードは未定で未整備の状態💦)

ライフワークでは、築地の隣島の豊海資産試験場でよく例会が開催されていた”21世紀の水産を考える会”に参加
日本の水産業、天然養殖魚の問題と将来像、、水産現場と継承、、などなどのお話を伺う事ができ益々今後の水産業に興味が、、。


そんな、ある日、修行を応援・支援してくれた網代の父の体調が急変、伊勢原市東海大学病院で危ない状態に💦 

何とか、峠を越え、持ち直した父から助言、、
人口減少の続く熱海市網代で守り続けた丸本の稼業(過去は海運業と網本・水産加工から丸本商店~スーパーマルモトへと業態変化した)の行く末を心配し、、、
「マルモトの本拠地を人口の増える他地域へと考えては。」と。

当時、次男出生のため狭いワンルームからもう少し広い部屋へと探すことになり、バブル景気から都内マンションの高騰💦 都内での家探しを諦めて都落ち、平塚の龍城ヶ丘に移転、平塚始発での通勤での築地勤務、その頃から、新天地、湘南地域へメインフィールドを移すことを検討し模索



*伊勢原の昭和から平成の写真

父がお世話になっている東海大学伊勢原医学部周辺に、マルモトの灯火を灯す立地を探すことに

平成2年2月2日、伊勢原に”地魚と、網代から供給される天日干しの干物など”を中心に販売するコンセプトで”マルモト伊勢原店”を出店することに
 当初、小売中心の水産物販売の営業を目論んでいたところ、オープンセール開店1週間で客足は少なくなり閑散と💦

*マルモト伊勢原店開店当初の写真

この灘況を打開すべく、網代から店頭に中型ディンギーヨットを運び、お客様から目を引くように相模湾の魚の陳列台にしたり、
納品先で仲良くなった活魚業者の指導の下、アクリルとステンレス流し架台の活魚水槽と、活魚車から降ろした活魚水槽で活魚販売に重点を置いた売り場構成へ、など、など、、、試行錯誤の日々💦

*当時のヨットを並べた売り場の写真が見当たらず💦

それでも小売販売は不調💦
はて??、、素材・魚の目利きに自信はあり、品質に間違いは無いものの💦

そこで、業態変換、小売りを目指したマルモト伊勢原店から、海鮮市場マルモトへ
目利きに叶った逸品を、業務店、特に伊勢原で美味しい寿司を提供する寿司屋さんにアプローチ(当初 伊勢原の寿司商は川崎ほかの中央市場で魚を入手)
獲れたてキトキトの、今朝どれ地魚の中でも築地レベル以上の逸品を紹介(^^)/
嬉しいことに、「地元でこんなイイ魚が穫れるのであれば、また、紹介してね」と、嬉しい反応(#^^#)

いい魚あるよ!と、評判を聞いた多くの飲食店さんにご来店を頂いて、おかげで業販部門がニョキニョキと業績を上げて、、年商1億円を超え、網代のスーパーの売り上げ匹敵するまでに(#^^#)

安心した、父母は、網代のスーパーマルモトを閉店し、伊勢原に移転する覚悟をし、多くのお客様に惜しまれながらも、、、網代のスーパーマルモトは閉店に

 スーパーの土地建物を売却し、、借り店舗だったマルモト伊勢原店の目の前の土地(伊勢原の北口(竜神通り中頃の地)を購入、(有)マルモトに社名変更した本店を移転しました。

ひとえに、地元小田原魚市場関係者のご支援と、築地時代に懇意になった今の豊洲市場に移転した仲買仲間のおかげ、、、これまでも、はたまた、今もなお、感謝しています。
また、伊勢原でなんとか生業を果せる状態になったお陰は、お客様・お得先の御贔屓と、商工会青年部に入会し、仲間、良き友に巡り合えたこと。


青年部活動を通じ、更に伊勢原への地元愛に目覚め、駅前中央商店会のみんなと共に商店会活動にも役員として参加、
各商店会が参加する商店会連合会の活動にも参加するようになりました。
 商店会連合会の中心市街地の活性化と商業の振興を目指した勉強グループ”あきんど塾”で中市街地活性化委員長として研鑽を積み、”一店一店の魅力あるお店を結ぶ線を増やせば、おのずと元気な面となる”との目標から、先ず自店が面し飲食店が多い 名も無き通り だった駅から小学校方面に向かう道に、一般公募で名前を募集し、最多だった”竜神通り”と名前が決まり、大山登山マラソン当日に命名記念イベントを、その後も毎年恒例の”大山登山マラソン歓迎イベント”を、夏には”商工会青年部大納涼まつり”に合わせた、”竜神通りサマーフェスタ”を開催、イベント開催に際して、共に奮闘した商店会の仲間、市民活動のメンバー、賛同者、イベント参加者、通りに面するお店の協力、神奈川県・伊勢原市の支援と応援(^^♪
たいへんだったけれど、今思い起こせば楽しかった日々。
今では、市民に認知され、グーグルマップにも”竜神通り”と示されるまでに。

また、伊勢原市商業振興計画の”一丸部会”委員長だった時に、京都出身の友の提案から生まれた”いせはら樂市樂座”
樂座で伊勢原の商人・事業者・事業者・人物を市内外へ紹介するイベント、、樂市では催し、イベントを通じて伊勢原市民・他市からの来場者の皆様に伊勢原の良さを楽しんで頂く試み。
遠慮深く慎ましい伊勢原風土から、京都の友と共に、他市から伊勢原に訪れた目で、伊勢原の魅力を発掘・発信が出来たこと?、、、、


2つ目は、小田原魚市場関係の皆が、美味しい相模湾の幸を如何に美味しい状態で皆様にお届けできるか、一丸となって小田原鮮魚の魅力づくりに向かい
神奈川県水産技術センターさんのお力添えを頂きながら”小田原さかなフォーラム”を発足させ、身近な海の幸を美味しさの技術的な鮮度管理で、水産資源の高付加価値化に発起人・事務局として寄与できたこと
目指した鮮魚商として築地レベル以上の鮮度管理、地域水産物を提供する鮮魚商の資質向上、また、地域資源の情報発信と、四季折々の旬の幸を提供しうる持続可能な水産物流通

などなど、、、

湯河原でのメタモルフォーゼ研究から45年の月日を過ぎて、次の時代に残したい、守りたい、思いを更に整理して、また、次世代に残せるより良い姿にしたいと願っています。